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最高裁判所大法廷 昭和43年(あ)1614号 判決 1976年5月21日

主文

原判決及び第一審判決中被告人松橋武男、同濱埜登及び同外崎清三に関する部分を破棄する。

被告人松橋武男を懲役三月に、被告人濱埜登を懲役一月に、被告人外崎清三を懲役二月に、処する。

被告人松橋武男、同濱埜登及び同外崎清三に対し、この裁判確定の日から一年間、その刑の執行を猶予する。

第一審及び原審における訴訟費用の負担を別紙のとおり定める。

被告人佐藤彰の本件上告を棄却する。

理由

(本件の経過)

本件公訴事実の要旨は、

被告人らは、いずれも昭和三六年一〇月二六日旭川市立永山中学校において実施予定の全国中学校一せい学力調査を阻止する目的をもつて、当日、他の数十名の説得隊員とともに、同校に赴いた者であるところ、

第一  被告人佐藤彰、同松橋武男、同濱埜登は、前記説得隊員と共謀のうえ、同校校長齋藤吉春の制止にもかかわらず、強いて同校校舎に侵入し、その後、同校長より更に強く退去の要求を受けたにもかかわらず、同校舎内から退去せず、

第二  同校長が同校第二学年教室において右学力調査を開始するや、

(一)  被告人佐藤は、約一〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査立会人として旭川市教育委員会から派遣された同委員会事務局職員藤川重人が右学力調査の立会に赴くため同校長室を出ようとしたのに対し、共同して同人に暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害し、

(二)  被告人濱埜は、右学力調査補助者横倉勝雄に対し暴行を加え、

(三)  被告人松橋、同濱埜、同外崎清三は、外三、四〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査を実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、共同して暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害し

たものである、

というものであつて、第一の事実につき建造物侵入罪、第二の(一)及び(三)の事実につき公務執行妨害罪、第二の(二)の事実につき暴行罪に該当するとして、起訴されたものである。

第一審判決は、右公訴事実第一の建造物侵入の事実については、ほぼ公訴事実に沿う事実を認定して被告人佐藤、同松橋、同濱埜につき建造物侵入罪の成立を認め、第二の(一)、(二)の各事実については、いずれも被告人佐藤、同濱埜が藤川重人及び横倉勝雄に暴行、脅迫を加えた事実を認めるべき証拠がないとして、公務執行妨害罪及び暴行罪の成立を否定し、第二の(三)の事実については、ほぼ公訴事実に沿う外形的事実の存在を認めたが、齋藤校長の実施しようとした前記学力調査(以下「本件学力調査」という。)は違法であり、しかもその違法がはなはだ重大であるとして、公務執行妨害罪の成立を否定し、共同暴行罪(昭和三九年法律第一一四号による改正前の暴力行為等処罰に関する法律一条一項)の成立のみを認め、被告人佐藤を建造物侵入罪で有罪とし、被告人松橋、同濱埜を建造物侵入罪と共同暴行罪とで有罪とし、両者を牽連犯として共同暴行罪の刑で処断し、被告人外崎を共同暴行罪で有罪とした。

第一審判決に対し、検察官、被告人らの双方から控訴があつたが、原判決は、第一審判決の判断を是認して、検察官及び被告人らの各控訴を棄却した。

これに対し、検察官は、被告人松橋、同濱埜、同外崎に対する関係で上告を申し立て、また、被告人らも上告を申し立てた。

(弁護人の上告趣意について)

弁護人森川金寿、同南山富吉、同尾山宏、同彦坂敏尚、同上条貞夫、同手塚八郎、同新井章、同高橋清一、同吉川基道(旧姓川島)の上告趣意について

第一点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にして本件に適切でなく、第二点及び第三点は、単なる法令違反の主張であり、第四点は、事実誤認の主張であり、第五点は、判例違反をいうが、所論引用の判例はいずれも事案を異にして本件に適切でなく、いずれも適法な上告理由にあたらない。

(検察官の上告趣意第二点について)

一論旨

論旨は、要するに、第一審判決及び原判決において、本件学力調査が違法であるとし、したがつて、これを実施しようとした齋藤校長に対する暴行は公務執行妨害罪とならないとしているのは、本件学力調査の適法性に関する法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。よつて、所論にかんがみ、職権により、本件学力調査の適法性について判断する。

二本件学力調査の適法性に関する問題点

1  本件学力調査の概要

文部省は、昭和三五年秋ころ、全国中学校第二、三学年の全生徒を対象とする一せい学力調査を企画し、これを雑誌等を通じて明らかにした後、昭和三六年三月八日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一せい学力調査の実施期日について(通知)」と題する書面を、次いで、同年四月二七日付同連名による「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査実施について」と題する書面に調査実施要綱を添付したものを、各都道府県教育委員会教育長等にあて送付し、各都道府県教育委員会に対し、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)五四条二項に基づき、右調査実施要綱による調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求めた。右調査実施要綱は、(1) 本件学力調査の目的は、(イ)文部省及び教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ロ)中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、(ハ)文部省及び教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)文部省及び教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等であり、(2) 調査の対象は、全国中学校第二、三学年の全生徒とし、(3) 調査する教科は、国語、社会、数学、理科、英語の五教科とし、(4) 調査の実施期日は、昭和三六年一〇月二六日午前九時から午後三時までの間に、一教科五〇分として行い、(5) 調査問題は、文部省において問題作成委員会を設けて教科別に作成し、(6) 調査の系統は、都道府県教育委員会(以下「都道府県教委」という。)は当該都道府県の学力調査の全般的な管理運営にあたり、また、市町村教育委員会(以下「市町村教委「という。)は当該市町村の公立中学校の学力調査を実施するが、右実施のため、原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、同教員を同補助員に命じ、更に教育委員会事務局職員などをテスト立会人として各中学校に派遣し、(7) 調査結果の整理集計は、原則として、市町村立学校については市町村教委が行い、都道府県教委において都道府県単位の集計を文部省に提出するものとし、(8) なお、調査結果の利用については、生徒指導要録の標準検査の記録欄に調査結果の換算点を記録する、等の内容を含むものである。

そこで、北海道教育委員会(以下「北海道教委」という。)は、同年六月二〇日付教育長名の通達により、道内各市町村教委に対して同旨の調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求め、これを受けた旭川市教育委員会(以下「旭川市教委」という。)においては、同年一〇月二三日、同市立の各中学校長に対し、学校長をテスト責任者として各中学校における本件学力調査の実施を命じるに至った。

なお、北海道教委及び旭川市教委の権限行使の根拠規定としては、それぞれ地教行法五四条二項、二三条一七号が挙げられていた。

以上の事実は、原判決が適法に確定するところである。

2  第一審判決及び原判決の見解

第一審判決及び原判決は、前記の過程を経て行われた本件学力調査は、文部省が独自に発案し、その具体的内容及び方法の一切を立案、決定し、各都道府県教委を経て各市町村教委にそのとおり実施させたものであつて、文部省を実質上の主体とする調査と認めるべきものであり、その適法性もまた、この前提に立つて判断すべきものであるとしたうえ、右調査は、(1) その性質、内容及び影響からみて教育基本法(以下」教基法」という。)一〇条一項にいう教育に対する不当な支配にあたり、同法を初めとする現行教育法秩序に違反する実質的違法性をもち、また、(2) 手続上の根拠となりえない地教行法五四条二項に基づいてこれを実施した点において、手続上も違法である、と判断している。そこで、以下において右の二点につき検討を加える。

三本件学力調査と地教行法五四条二項(手続上の適法性)

(一)  原判決は、本件学力調査は、教育的価値判断にかかわり、教育活動としての実質を有し、行政機関による調査(行政調査)のわくを超えるものであるから、地教行法五四条二項を根拠としてこれを実施することはできない、と判示している。

行政調査は、通常、行政機関がその権限を行使する前提として、必要な基礎資料ないしは情報を収集、獲得する作用であつて、文部省設置法五条一項一二号、一三号、二八号、二九号は、特定事項に関する調査を文部省の権限事項として掲げ、地教行法二三条一七号は、地方公共団体の教育にかかる調査を当該地方公共団体の教育委員会(以下「地教委」という。)の職務権限としているほか、同法五三条は、特に文部大臣による他の教育行政機関の所掌事項についての調査権限を規定し、同法五四条にも調査に関する規定がある。本件学力調査がこのような行政調査として行われたものであることは、前記実施要綱に徴して明らかであるところ、原判決は、右調査が試験問題によつて生徒を試験するという方法をとつている点をとらえて、それは調査活動のわくを超えた固有の教育活動であるとしている。しかしながら、本件学力調査においてとられた右の方法が、教師の行う教育活動の一部としての試験とその形態を同じくするものであることは確かであるとしても、学力調査としての試験は、あくまでも全国中学校の生徒の学力の程度が一般的にどのようなものであるかを調査するためにされるものであつて、教育活動としての試験の場合のように、個々の生徒に対する教育の一環としての成績評価のためにされるものではなく、両者の間には、その趣旨と性格において明らかに区別があるのである。それ故、本件学力調査が生徒に対する試験という方法で行われたことの故をもつて、これを行政調査というよりはむしろ固有の教育活動としての性格をもつものと解し、したがつて地教行法五四条二項にいう調査には含まれないとすることは、相当でない。もつとも、行政調査といえども、無制限に許されるものではなく、許された目的のために必要とされる範囲において、その方法につき法的な制約が存する場合にはその制約の下で、行われなければならず、これに違反するときは、違法となることを免れない。原判決の指摘する上記の点は、むしろ本件学力調査の右の意味における適法性の問題に帰し、このような問題として論ずれば足りるのであつて、これについては、後に四で詳論する。

(二) 次に、原判決は、地教行法五四条二項は、文部大臣において地教委が自主的に実施した調査につきその結果の提出を要求することができることを規定したにとどまり、その前提としての調査そのものの実施を要求する権限を認めたものではないから、文部省が同条項の規定を根拠として本件学力調査の実施を要求することはできず、この点においても右調査の実施は手続上違法である、と判示している。

地教行法五四条二項が、同法五三条との対比上、文部大臣において本件学力調査のような調査の実施を要求する権限までをも認めたものと解し難いことは、原判決の説くとおりである。しかしながら、このことは、地教行法五四条二項によつて求めることができない文部大臣の調査要求に対しては、地教委においてこれに従う法的義務がないということを意味するだけであつて、右要求に応じて地教委が行つた調査行為がそのために当然に手続上違法となるわけのものではない。地教委は、前述のように、地教行法二三条一七号により当該地方公共団体の教育にかかる調査をする権限を有しており、各市町村教委による本件学力調査の実施も、当該市町村教委が文部大臣の要求に応じその所掌する中学校の教育にかかる調査として、右法条に基づいて行つたものであつて、文部大臣の要求によつてはじめて法律上根拠づけられる調査権限を行使したというのではないのである。その意味において、文部大臣の要求は、法手続上は、市町村教委による調査実施の動機をなすものであるにすぎず、その法的要件をなすものではない。それ故、本件において旭川市教委が旭川市立の各中学校につき実施した調査行為は、たとえそれが地教行法五四条二項の規定上文部大臣又は北海道教委の要求に従う義務がないにもかかわらずその義務があるものと信じてされたものであつても、少なくとも手続法上は権限なくしてされた行為として違法であるということはできない。そして、市町村教委は、市町村立の学校を所管する行政機関として、その管理権に基づき、学校の教育課程の編成について基準を設定し、一般的な指示を与え、指導、助言を行うとともに、特に必要な場合には具体的な命令を発することもできると解するのが相当であるから、旭川市教委が、各中学校長に対し、授業計画を変更し、学校長をテス責任者としてテストの実施を命じたことも、手続的には適法な権限に基づくものというべく、要するに、本件学力調査の実施には手続上の違法性はないというべきである。

もつとも、右のように、旭川市教委による調査実施行為に手続上の違法性はないとしても、それが地教行法五四条二項による文部大臣の要求に応じてされたという事実がその実質上の適法性の問題との関連においてどのように評価、判断されるべきかは、おのずから別個の観点から論定されるべき問題であり、この点については、四で検討する。

四本件学力調査と教育法制(実質上の適法性)

原判決は、本件学力調査は、その目的及び経緯に照らし、全体として文部大臣を実質上の主体とする調査であり、市町村教委の実施行為はその一環をなすものにすぎず、したがつてその実質上の適否は、右の全体としての調査との関連において判断されなければならないとし、文部大臣の右調査は、教基法一〇条を初めとする現行教育法秩序に違反する実質的違法性をもち、ひいては旭川市教委による調査実施行為も違法であることを免れない、と断じている。本件学力調査は文部大臣において企画、立案し、その要求に応じて実施されたものであり、したがつて、当裁判所も、右調査実施行為の実質上の適法性、特に教基法一〇条との関係におけるそれは、右の全体としての調査との関連において検討、判断されるべきものとする原判決の見解は、これを支持すべきものと考える。そこで、以下においては、このような立場から、本件学力調査が原判決のいうように教基法一〇条を含む現行の教育法制及びそれから導かれる法理に違反するかどうかを検討することとする。

1  子どもの教育と教育権能の帰属の問題

(一) 子どもの教育は、子どもが将来一人前の大人となり、共同社会の一員としてその中で生活し、自己の人格を完成、実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり、それはまた、共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。この子どもの教育は、その最も始源的かつ基本的な形態としては、親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育、監護の作用の一環としてあらわれるのであるが、しかしこのような私事としての親の教育及びその延長としての私的施設による教育をもつてしては、近代社会における経済的、技術的、文化的発展と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応しきれなくなるに及んで、子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、子どもの教育をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、子どもの教育は、主としてこのような公共施設として国公立の学校を中心として営まれるという状態になつている。

ところで、右のような公教育制度の発展に伴つて、教育全般に対する国家の関心が高まり、教育に対する国家の支配ないし介入が増大するに至つた一方、教育の本質ないしはそのあり方に対する反省も深化し、その結果、子どもの教育は誰が支配し、決定すべきかという問題との関連において、上記のような子どもの教育に対する国家の支配ないし介入の当否及びその限界が極めて重要な問題として浮かびあがるようになつた。このことは、世界的な現象であり、これに対する解決も、国によつてそれぞれ異なるが、わが国においても戦後の教育改革における基本的問題の一つとしてとりあげられたところである。本件における教基法一〇条の解釈に関する前記の問題の背景には右のような事情があり、したがつて、この問題を考察するにあたつては、広く、わが国において憲法以下の教育関係法制が右の基本的問題に対していかなる態度をとつているかという全体的な観察の下で、これを行わなければならない。

(二) ところで、わが国の法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するとされているかについては、二つの極端に対立する見解があり、そのそれぞれが検察官及び弁護人の主張の基底をなしているようにみうけられる。すなわち、一の見解は、子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであつて、そこにおいて支配し、実現されるべきものは国民全体の教育意思であるが、この国民全体の教育意思は、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国民全体の意思の決定の唯一のルートである国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるから、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する、と主張する。これに対し、他の見解は、子どもの教育は、憲法二六条の保障する子どもの教育を受ける権利に対する責務として行われるべきもので、このような責務をになう者は、親を中心とする国民全体であり、公教育としての子どもの教育は、いわば親の教育義務の共同化ともいうべき性格をもつのであつて、それ故にまた、教基法一〇条一項も、教育は、国民全体の信託の下に、これに対して直接に責任を負うように行われなければならないとしている、したがつて、権力主体としての国の子どもの教育に対するかかわり合いは、右のような国民の教育義務の遂行を側面から助成するための諸条件の整備に限られ、子どもの教育の内容及び方法については、国は原則として介入権能をもたず、教育は、その実施にあたる教師が、その教育専門家としての立場から、国民全体に対して教育的、文化的責任を負うような形で、その内容及び方法を決定、遂行すべきものであり、このことはまた、憲法二三条における学問の自由の保障が、学問研究の自由ばかりでなく、教授の自由をも含み、教授の自由は、教育の本質上、高等教育のみならず、普通教育におけるそれにも及ぶと解すべきことによつても裏付けられる、と主張するのである。

当裁判所は、右の二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える。以下に、その理由と当裁判所の見解を述べる。

2  憲法と子どもに対する教育権能

(一) 憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法二六条であるが、同条は、一項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、二項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めている。この規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。

しかしながら、このように、子どもの教育が、専ら子どもの利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきものであるということからは、このような教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない。すなわち、同条が、子どもに与えるべき教育の内容は、国の一般的な政治的意思決定手続によつて決定されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかを、直接一義的に決定していると解すべき根拠は、どこにもみあたらないのである。

(二) 次に、学問の自由を保障した憲法二三条により、学校において現実に子どもの教育の任にあたる教師は、教授の自由を有し、公権力による支配、介入を受けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるとする見解も、採用することができない。確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない。もとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授の自由におのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである。

(三) 思うに、子どもはその成長の過程において他からの影響によつて大きく左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すかは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。それ故、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということができる。子どもの教育は、前述のように、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきものであるけれども、何が子どもの利益であり、また、そのために何が必要であるかについては、意見の対立が当然に生じうるのであつて、そのために教育内容の決定につき矛盾、対立する主張の衝突が起こるのを免れることができない。憲法がこのような矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準を明示的に示していないことは、上に述べたとおりである。そうであるとすれば、憲法の次元におけるこの問題の解釈としては、右の関係者らのそれぞれの主張のよつて立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈態度というべきである。

そして、この観点に立つて考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。もとより、政党政治の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によつて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されないと解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない。

3  教基法一〇条の解釈

次に、憲法における教育に対する国の権能及び親、教師等の教育の自由についての上記のような理解を背景として、教基法一〇条の規定をいかに解釈すべきかを検討する。

(一) 教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、わが国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的として制定されたものであつて、戦後のわが国の政治、社会、文化の各方面における諸改革中最も重要な問題の一つとされていた教育の根本的改革を目途として制定された諸立法の中で中心的地位を占める法律であり、このことは、同法の前文の文言及び各規定の内容に徴しても、明らかである。それ故、同法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力をもつものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別段の規定がない限り、できるだけ教基法の規定及び同法の趣旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきである。

ところで、教基法は、その前文の示すように、憲法の精神にのつとり、民主的で文化的な国家を建設して世界の平和と人類の福祉に貢献するためには、教育が根本的重要性を有するとの認識の下に、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的で、しかも個性豊かな文化の創造をめざす教育が今後におけるわが国の教育の基本理念であるとしている。これは、戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的、画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があつたことに対する反省によるものであり、右の理念は、これを更に具体化した同法の各規定を解釈するにあたつても、強く念頭に置かれるべきものであることは、いうまでもない。

(二) 本件で問題とされている教基法一〇条は、教育と教育行政との関係についての基本原理を明らかにした極めて重要な規定であり、一項において、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と定め、二項において、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めている。この規定の解釈については、検察官の主張と原判決が大筋において採用したと考えられる弁護人の主張との間に顕著な対立があるが、その要点は、(1) 第一に、教育行政機関が法令に基づいて行政を行う場合は右教基法一〇条一項にいう「不当な支配」に含まれないと解すべきかどうかであり、(2) 第二に、同条二項にいう教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立とは、主として教育施設の設置管理、教員配置等のいわゆる教育の外的事項に関するものを指し、教育課程、教育方法等のいわゆる内的事項については、教育行政機関の権限は原則としてごく大綱的な基準の設定に限られ、その余は指導、助言的作用にとどめられるべきものかどうかである、と考えられる。

(三) まず、(1)の問題について考えるのに、前記教基法一〇条一項は、その文言からも明らかなように、教育が国民から信託されたものであり、したがつて教育は、右の信託にこたえて国民全体に対して直接責任を負うように行われるべく、その間において不当な支配によつてゆがめられることがあつてはならないとして、教育が専ら教育本来の目的にしたがつて行われるべきことを示したものと考えられる。これによつてみれば、同条項が排斥しているのは、教育が国民の信託にこたえて右の意味において自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であつて、そのような支配と認められる限り、その主体のいかんは問うところでないと解しなければならない。それ故、論理的には、教育行政機関が行う行政でも、右にいう「不当な支配」にあたる場合がありうることを否定できず、問題は、教育行政機関が法令に基づいてする行為が「不当な支配」にあたる場合がありうるかということに帰着する。思うに、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかであるが、上に述べたように、他の教育関係法律は教基法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、教基法一〇条一項にいう「不当な支配」とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教基法一〇条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない。

(四) そこで、次に、上記(2)の問題について考えるのに、原判決は、教基法一〇条の趣旨は、教育が「国民全体のものとして自主的に行われるべきものとするとともに」、「教育そのものは人間的な信頼関係の上に立つてはじめてその成果をあげうることにかんがみ、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明」したところにあるとし、このことから、「教育内容及び教育方法等への(教育行政機関の)関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。」と判示している。

思うに、子どもの教育が、教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的に行われなければならず、そこに教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることは原判決の説くとおりであるし、また、教基法が前述のように戦前における教育に対する過度の国家的介入、統制に対する反省から生まれたものであることに照らせば、同法一〇条が教育に対する権力的介入、特に行政権力によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することは、それなりの合理性を有するけれども、このことから、教育内容に対する行政の権力的介入が一切排除されているものであるとの結論を導き出すことは、早計である。さきにも述べたように、憲法上、国は、適切な教育政策を樹立、実施する権能を有し、国会は、国の立法機関として、教育の内容及び方法についても、法律により、直接に又は行政機関に授権して必要かつ合理的な規制を施す権限を有するのみならず、子どもの利益のため又は子どもの成長に対する社会公共の利益のためにそのような規制を施すことが要請される場合もありうるのであり、国会が教基法においてこのような権限の行使を自己限定したものと解すべき根拠はない。むしろ教基法一〇条は、国の教育統制権能を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き、その整備確立のための措置を講ずるにあたつては、教育の自主性尊重の見地から、これに対する「不当な支配」となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがつて、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであつても、必ずしも同条の禁止するところではないと解するのが、相当である。

もつとも、原判決も、教育の内容及び方法に対する教育行政機関の介入が一切排除されていると解しているわけではなく、前述のように、権力的介入としては教育機関の種類等に応じた大綱的基準の設定を超えることができないとするにとどまつている。原判決が右にいう大綱的基準としてどのようなものを考えているかは必ずしも明らかでないが、これを国の教育行政機関についていえば、原判決において、前述のような教師の自由な教育活動の要請と現行教育法体制における教育の地方自治の原則に照らして設定されるべき基準は全国的観点からする大綱的なものに限定されるべきことを指摘し、かつ、後述する文部大臣の定めた中学校学習指導要領を右の大綱的基準の限度を超えたものと断じているところからみれば、原判決のいう大綱的基準とは、弁護人の主張するように、教育課程の構成要素、教科名、授業時数等のほか、教科内容、教育方法については、性質上全国的画一性を要する度合が強く、指導助言行政その他国家立法以外の手段ではまかないきれない、ごく大綱的な事項を指しているもののように考えられる。

思うに、国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には、教師の創意工夫の尊重等教基法一〇条に関してさきに述べたところのほか、後述する教育に関する地方自治の原則をも考慮し、右教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべきものと解しなければならないけれども、右の大綱的基準の範囲に関する原判決の見解は、狭きに失し、これを採用することはできないと考える。これを前記学習指導要領についていえば、文部大臣は、学校教育法三八条、一〇六条による中学校の教科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内容及び方法につき、上述のような教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準を設定することができるものと解すべきところ、本件当時の中学校学習指導要領の内容を通覧するのに、おおむね、中学校において地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準と考えても必ずしも不合理とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められるのであり、その中には、ある程度細目にわたり、かつ、詳細に過ぎ、また、必ずしも法的拘束力をもつて地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、はたしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうか疑わしいものが幾分含まれているとしても、右指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつものと認められるし、また、その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていないのである。それ故、上記指導要領は、全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認することができるものと解するのが、相当である。

4  本件学力調査と教基法一〇条

そこで、以上の解釈に基づき、本件学力調査が教基法一〇条一項にいう教育に対する「不当な支配」として右規定に違反するかどうかを検討する。

本件学力調査が教育行政機関である文部大臣において企画、立案し、その要求に応じて実施された行政調査たる性格をもつものであることはさきに述べたとおりであるところ、それが行政調査として教基法一〇条との関係において適法とされうるかどうかを判断するについては、さきに述べたとおり、その調査目的において文部大臣の所掌とされている事項と合理的関連性を有するか、右の目的のために本件のような調査を行う必要性を肯定することができるか、本件の調査方法に教育に対する不当な支配とみられる要素はないか等の問題を検討しなければならない。

(一) まず、本件学力調査の目的についてみるのに、右調査の実施要綱には、前記二の1の(1)で述べたように、調査目的として四つの項目が挙げられている。このうち、文部大臣及び教育委員会において、調査の結果を、(イ)の教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ハ)の学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)の育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等は、文部大臣についていえば、文部大臣が学校教育等の振興及び普及を図ることを任務とし、これらの事項に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う行政機関(文部省設置法四条)として、全国中学校における教育の機会均等の確保、教育水準の維持、向上に努め、教育施設の整備、充実をはかる責務と権限を有することに照らし、これらの権限と合理的関連性を有するものと認めることができるし、右目的に附随して、地教委をしてそれぞれの所掌する事項に調査結果を利用させようとすることも、文部大臣の地教委に対する指導、助言的性格のものとして不当ということはできない。また、右四項目中(ロ)の、中学校において、本件学力調査の結果により、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立せる資料とするという項目は、それが文部大臣固有の行政権限に直接関係せず、中学校における教育実施上の目的に資するためのものである点において、調査目的として正当性を有するかどうか問題であるけれども、右は、本件学力調査全体の趣旨、目的からいえば、単に副次的な意義をもつものでしかないと認めるのが相当であるのみならず、調査結果を教育活動上利用すべきことを強制するものではなく、指導、助言的性格のものにすぎず、これをいかに利用するかは教師の良識ある判断にまかされるべきものと考えられるから、右の(ロ)が調査目的の一つに掲げられているからといつて、調査全体の目的を違法不当のものとすることはできないというべきである。

(二) 次に、本件学力調査は、原判決の認定するところによれば、文部省が当時の中学校学習指導要領によつて試験問題を作成し、二の1で述べたように、全国の中学校の全部において一せいに右問題による試験を行い、各地教委にその結果を集計、報告させる等の方法によつて行われたものであつて、このような方法による調査が前記の調査目的のために必要と認めることができるかどうか、及び教育に対する不当な支配の要素をもつものでないかどうかは、慎重な検討を要する問題である。

まず、必要性の有無について考えるのに、全国の中学校における生徒の学力の程度がどの程度のものであり、そこにどのような不足ないしは欠陥があるかを知ることは、上記の(イ)、(ハ)、(ニ)に掲げる諸施策のための資料として必要かつ有用であることは明らかであり、また、このような学力調査の方法としては、結局試験によつてその結果をみるよりほかにはないのであるから、文部大臣が全国の中学校の生徒の学力をできるだけ正確かつ客観的に把握するためには、全国の中学校の生徒に対し同一試験問題によつて同一調査日に同一時間割で一せいに試験を行うことが必要であると考えたとしても、決して不合理とはいえない。それ故、本件学力調査は、その必要性の点において欠けるところはないというべきである。

(三) 問題となるのは、上記のような方法による調査が、その一面において文部大臣が直接教育そのものに介入するという要素を含み、また、右に述べたような調査の必要性によつては正当化することができないほどに教育に対して大きな影響力を及ぼし、これらの点において文部大臣の教育に対する「不当な支配」となるものではないか、ということである。

これにつき原判決は、右のような方法による本件学力調査は教基法一〇条にいう教育に対する「不当な支配」にあたるとし、その理由として、(1) 右調査の実施のためには、各中学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上各学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつものであること、また、(2) 右調査は、生徒を対象としてその学習の到達度と学校の教育効果を知るという性質のものである点において、教師が生徒に対する学習指導の結果を試験によつて把握するのと異なるところがなく、教育的価値判断にかかわる教育活動としての実質をもつていること、更に、(3) 前記の方法による調査を全国の中学校のすべての生徒を対象として実施することは、これらの学校における日常の教育活動を試験問題作成者である文部省の定めた学習指導要領に盛られている方針ないしは意向に沿つて行わせる傾向をもたらし、教師の自由な創意と工夫による教育活動を妨げる一般的危険性をもつものであり、現に一部においてそれが現実化しているという現象がみられること、を挙げている。

そこでまず、右(1)及び(2)の点について考えるのに、本件学力調査における生徒に対する試験という方法が、あくまでも生徒の一般的な学力の程度を把握するためのものであつて、個々の生徒の成績評価を目的とするものではなく、教育活動そのものとは性格を異にするものであることは、さきに述べたとおりである。もつとも、試験という形態をとる以上、前者の目的でされたものが後者の目的に利用される可能性はあり、現に本件学力調査においても、試験の結果を生徒指導要録に記録させることとしている点からみれば、両者の間における一定の結びつきの存在を否定することはできないけれども、この点は、せつかく実施した試験の結果を生徒に対する学習指導にも利用させようとする指導、助言的性格のものにすぎないとみるべきであるから、以上の点をもつて、文部省自身が教育活動を行つたものであるとすることができないのはもちろん、教師に対して一定の成績評価を強制し、教育に対する実質的な介入をしたものとすることも、相当ではない。また、試験実施のために試験当日限り各中学校における授業計画の変更を余儀なくされることになるとしても、右変更が年間の授業計画全体に与える影響についてみるとき、それは、実質上各学校の教育内容の一部を強制的に変更させる意味をもつほどのものではなく、前記のような本件学力調査の必要性によつて正当化することができないものではないのである。

次に、(3)の点について考えるのに、原判決は、本件学力調査の結果として、全国の中学校及びその教師の間に、学習指導要領の指示するところに従つた教育を行う風潮を生じさせ、教師の教育の自由が阻害される危険性があることをいうが、もともと右学習指導要領自体が全体としてみて中学校の教育課程に関する基準の設定として適法なものであり、これによつて必ずしも教師の教育の自由を不当に拘束するものとは認められないことはさきに述べたとおりであるのみならず、本件学力調査は、生徒の一般的な学力の実態調査のために行われたもので、学校及び教師による右指導要領の遵守状況を調査し、その結果を教師の勤務評定にも反映させる等して、間接にその遵守を強制ないしは促進するために行われたものではなく、右指導要領は、単に調査のための試験問題作成上の基準として用いられたにとどまつているのである。もつとも、右調査の実施によつて、原判決の指摘するように、中学校内の各クラス間、各中学校間、更には市町村又は都道府県間における試験成績の比較が行われ、それがはねかえつてこれらのものの間の成績競争の風潮を生み、教育上必ずしも好ましくない状況をもたらし、また、教師の真に自由で創造的な教育活動を畏縮させるおそれが絶無であるとはいえず、教育政策上はたして適当な措置であるかどうかについては問題がありうべく、更に、前記のように、試験の結果を生徒指導要録の標準検査の欄に記録させることとしている点については、特にその妥当性に批判の余地があるとしても、本件学力調査実施要綱によれば、同調査においては、試験問題の程度は全体として平易なものとし、特別の準備を要しないものとすることとされ、また、個々の学校、生徒、市町村、都道府県についての調査結果は公表しないこととされる等一応の配慮が加えられていたことや、原判決の指摘する危険性も、教師自身を含めた教育関係者、父母、その他社会一般の良識を前提とする限り、それが全国的に現実化し、教育の自由が阻害されることとなる可能性がそれほど強いとは考えられないこと(原判決の挙げている一部の県における事例は、むしろ例外的現象とみるべきである。)等を考慮するときは、法的見地からは、本件学力調査を目して、前記目的のための必要性をもつてしては正当化することができないほどの教育に対する強い影響力、支配力をもち、教基法一〇条にいう教育に対する「不当な支配」にあたるものとすることは、相当ではなく、結局、本件学力調査は、その調査の方法において違法であるということはできない。

(四)  以上説示のとおりであつて、本件学力調査には、教育そのものに対する「不当な支配」として教基法一〇条に違反する違法があるとすることはできない。

5  本件学力調査と教育の地方自治

なお、原判決は、文部大臣が地教委をして本件のような調査を実施させたことは、現行教育法制における教育の地方自治の原則に反するものを含むとして、この点からも本件学力調査の適法性を問題としているので、最後にこの点について判断を加える。

(一) 思うに、現行法制上、学校等の教育に関する施設の設置、管理及びその他教育に関する事務は、普通地方公共団体の事務とされ(地方自治法二条三項五号)、公立学校における教育に関する権限は、当該地方公共団体の教育委員会に属するとされる(地教行法二三条、三二条、四三条等)等、教育に関する地方自治の原則が採用されているが、これは、戦前におけるような国の強い統制の下における全国的な画一的教育を排して、それぞれの地方の住民に直結した形で、各地方の実情に適応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づくものであつて、このような地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の一つをなすものであることは、疑いをいれない。そして、右の教育に関する地方自治の原則からすれば、地教委の有する教育に関する固有の権限に対する国の行政機関である文部大臣の介入、監督の権限に一定の制約が存することも、原判決の説くとおりである。このような制限は、さまざまの関係において問題となりうべく、前記中学校学習指導要領の法的効力に関する問題もその一つであるが、この点についてはすでに触れたので、以下においては、本件学力調査において、文部大臣が地教行法五四条二項によつては地教委にその調査の実施を要求することができないにもかかわらずこれを要求し、地教委をその実施に至らせたことが、教育に関する地方自治の原則に反するものとして実質的違法性を生じさせるものであるかどうかを、検討する。

(二)  文部大臣は、地教行法五四条二項によつては地教委に対し本件学力調査の実施をその義務として要求することができないことは、さきに三において述べたとおりであり、このような要求をすることが教育に関する地方自治の原則に反することは、これを否定することができない。しかしながら、文部大臣の右要求行為が法律の根拠に基づかないものであるとしても、そのために右要求に応じて地教委がした実施行為が地方自治の原則に違反する行為として違法となるかどうかは、おのずから別個の問題である。思うに、文部大臣が地教行法五四条二項によつて地教委に対し本件学力調査の実施を要求することができるとの見解を示して、地教委にその義務の履行を求めたとしても、地教委は必ずしも文部大臣の右見解に拘束されるものではなく、文部大臣の右要求に対し、これに従うべき法律上の義務があるかどうか、また、法律上の義務はないとしても、右要求を一種の協力要請と解し、これに応ずるのを妥当とするかどうかを、独自の立場で判断し、決定する自由を有するのである。それ故、地教委が文部大臣の要求に応じてその要求にかかる事項を実施した場合には、それは、地教委がその独自の判断に基づきこれに応ずべきものと決定して実行に踏み切つたことに帰着し、したがつて、たとえ右要求が法律上の根拠をもたず、当該地教委においてこれに従う義務がない場合であつたとしても、地教委が当該地方公共団体の内部において批判を受けることは格別、窮極的にはみずからの判断と意見に基づき、その有する権限の行使としてした実施行為がそのために実質上違法となるべき理はないというべきである。それ故、本件学力調査における調査の実施には、教育における地方自治の原則に反する違法があるとすることはできない。

五結び

以上の次第であつて、本件学力調査には、手続上も実質上も違法はない。

そうすると、齋藤校長の本件学力調査の実施は適法な公務の執行であつて、同校長がこのような職務を執行するにあたりこれに対して暴行を加えた本件行為は公務執行妨害罪を構成すると解するのが、相当である。これと異なる見地に立ち、被告人松橋、同濱埜、同外崎の齋藤校長に対する暴行につき公務執行妨害罪の成立を認めず、共同暴行罪の成立のみを認めた第一審判決及びこれを維持した原判決は、地教行法五四条二項、二三条一七号、教基法一〇条の解釈を誤り、ひいては刑法九五条一項の適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼし、かつ、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

(結論)

よつて、検察官の上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一四条、三九六条により被告人佐藤の本件上告を棄却し、同法四一一条一号により原判決及び第一審判決中被告人松橋、同濱埜、同外崎に関する部分を破棄し、なお、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告人松橋、同濱埜、同外崎に対する各被告事件について更に判決する。

第一審判決の証拠の標目掲記の各証拠によると、被告人松橋、同濱埜、同外崎は、いずれも、昭和三六年一〇月二六日旭川市永山町所在の旭川市立永山中学校において実施予定の全国中学校一せい学力調査を阻止するための説得活動をする目的をもつて、当日、同校に赴いた者であるところ、(1) 被告人松橋は、右説得活動をするために集まつた約七〇名の者と互いにその意思を通じて共謀のうえ、同日午前八時過ぎころ、右の者らとともに、同校正面玄関から、同校校長齋藤吉春の制止にもかかわらず、同校長が管理する永山中学校校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、被告人濱埜は、同日午前九時ころ、前記のとおりすでに故なく校舎内に侵入していた者らと意思を通じて、同校正面玄関から右校舎各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、また、(2) 同校長が同日午前一一時四〇分ころから同校二階の二年A、B、C、D各組の教室において学力調査を実施し始めたところ、(イ)被告人外崎は、同日午後零時過ぎころ、二年各組の教室前の廊下において、職務として学力調査実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、同校長が教室への出入りを妨げられたためやむなく二年D組教室の外側窓から同C組教室の外側窓に足をかけて渡つた事実をとらえて、「最高責任者である校長が窓渡りをするとはあまりに非常識じやないか。」等と激しく非難抗議をするに際し、手拳をもつて同校長の胸部付近を突いて暴行を加え、もつてその公務の執行を妨害し、更に、(ロ)被告人松橋、同濱埜、同外崎は、そのころ、同校二階において、職務として学力調査実施中の各教室に見回りつつあつた同校長を階下校長室に連れて行こうとして、同校長の周辺に集まつていた約一四、五名の者と互いに意思を通じて共謀のうえ、被告人松橋においては同校長の右腕をかかえて二、三歩引つぱり、被告人濱埜、同外崎においては右の者らとともに同校長の身近かにほぼ馬てい形にこれをとり囲み、これらの者は口々に「テストを中止したらどうか。」とか「下へ行つて話をしよう。」などと抗議し、あるいは促し、また、同校長の体に手をかけたり、同校長が教室内にはいろうとするのを出入口に立つて妨げる等して、同校長をとり囲んだままの状態で、同校長をして、その意思に反して正面玄関側階段方向へ二年A組教室前付近まで移動するのやむなきに至らせて同校長の行動の自由を束縛する等の暴行を加え、もつてその公務の執行を妨害したものであることが、認められる。

右事実に法令を適用すると、被告人松橋、同濱埜の所為中建造物侵入の点は、行為時においては刑法六〇条、一三〇条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法六〇条、一三〇条前段、昭和四七年法律第六一号による改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、犯罪後の法律により刑の変更があつたときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、齋藤校長の職務の執行に対し暴行を加えた点は、同法六〇条、九五条一項に該当し、被告人外崎の同校長の職務の執行に対し暴行を加えた所為は、包括して同法六〇条、九五条一項に該当するところ、被告人松橋、同濱埜の建造物侵入と公務執行妨害との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として重い後者の罪につき定めた懲役刑で処断し、被告人外崎の罪につき所定刑中懲役刑を選択することとし、各刑期の範囲内において、被告人松橋を懲役三月に、被告人濱埜を懲役一月に、被告人外崎を懲役二月に処し、同法二五条一項を適用して、被告人松橋、同濱埜、同外崎に対し、この裁判確定の日から一年間その刑の執行を猶予し、また、公訴事実第二の(二)の被告人濱埜の横倉勝雄に対する暴行については、その証明がないとする第一審判決の判断はこれを維持すべきであるが、同被告人に対する判示建造物侵入の罪と牽連犯の関係にあるとして起訴されたものであるから、主文において特に無罪の言渡をしないこととし、なお、第一審及び原審における訴訟費用の負担については、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により、主文第四項記載のとおり定めることとし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官全員一致の意見によるものである。

(村上朝一 藤林益三 岡原昌男 下田武三 岸盛一 天野武一 岸上康夫 江里口清雄 大塚喜一郎 高辻正己 吉田豊 団藤重光 本林譲 服部高顕)

(坂本吉勝は、退官のため署名押印することができない)。

(別紙)

一 被告人松橋武男及び同濱埜登に連帯負担させるもの

第一審証人齋藤吉春(永山第一〇回、第一三回公判の分を除く。)、同大門功、同松崎信吉、同目黒厚子、同由川匡寿、同池野幸次郎、同中川弘、同北岸洋子、同有賀登志男、同上野要治、同柴田貞夫、同安川長吉、同坂下博、同八重樫好、同氏本利光(永山第六三回公判の分を除く。)に支給した分の二分の一及び第一審証人松田宏(永山第三五回公判の分を除く。)、原審証人白畠沢子、同菅野久光、同氏本利光に支給した分

二 被告人松橋武男、同濱埜登及び同外崎清三に連帯負担させるもの

第一審証人齋藤吉春(永山第一〇回、第一三回公判の分を除く。)、同大門功、同松崎信吉、同目黒厚子、同由川匡寿、同池野幸次郎、同中川弘、同北岸洋子、同安川長吉、同坂下博、同八重樫好に支給した分の二分の一及び第一審証人佐藤和子(永山第四八回公判の分を除く。)、原審証人江津繁に支給した分

弁護人森川金寿、同南山富吉、同尾山宏、同彦坂敏尚、同上条貞夫、同手塚八郎、同新井章、同高橋清一、同川島基道の上告趣意<省略>

検察官の上告趣意

目次

序説

第一点 判例違反

一、原判決が本件学力調査の実施を違法とした判断は、次に掲げる高等裁判所の判例と相反する判断をしたものである。

1 福岡高等裁判所第一部昭和四二年四月二八日判決

2 仙台高等裁判所秋田支部昭和四一年九月一日判決

二、原判決の地教行法第五四条二項は本件学力調査の手続上根拠とはならないとの判断は、次に掲げる高等裁判所の判例の趣旨と相反する判断をしたものである。

仙台高等裁判所秋田支部昭和四一年九月一日判決

三、原判決は刑法第九五条の解釈を誤り次に掲げる大審院および高等裁判所の諸判例と相反する判断をしたものである。

1 福岡高等裁判所第一刑事部昭和三九年五月一三日判決

2 福岡高等裁判所第一刑事部昭和四二年四月二八日判決

3 大審院第一刑事部昭和七年三月二四日判決

4 福岡高等裁判所第三刑事部昭和二七年一〇月二日判決

第二点 法令違反

原判決は、教育基本法第一〇条一項、学校教育法第三八条、地教行法第五四条一項、二項等法令の解釈を誤つたもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと信ずる。

結論

序説

一、旭川地方裁判所は、昭和四一年五月二五日、被告人松橋武男、同浜埜登に対する建造物侵入、公務執行妨害、被告人外崎清三に対する公務執行妨害各被告事件につき、昭和三六年一〇月二六日旭川市永山町旭川市立永山中学校において実施された一斉学力調査を違法であるとし、被告人らが多数の者と共に該学力調査を阻止する目的をもつて同校校舎内に侵入したうえ、被告人らにおいて学力調査実施中の教室の見廻りをしていた同校校長に対し共同して暴行脅追を加えた事案に対し建造物侵入の罪と暴力行為等処罰に関する法律違反の罪との成立を認めたに止まり公務執行妨害罪の成立を否定した。

二、右判決に対し検察官より同判決は、教育基本法第一〇条一項、二項、学校教育法第三八条、同法附則第一〇六条、同法施行法第五四条の二、地方教育行政組織及び運営に関する法律(以下地教行法と略称する。)第五四条二項の解釈適用を誤つて本件学力調査の適法性を否定し、かつまた刑法第九五条一項の解釈適用をも誤つた結果、公務執行妨害罪の成立を認めなかつたものであり、右の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとして控訴した。

三、札幌高等裁判所第三部は、審理の結果、昭和四三年六月二六日右一審判決と同じく本件学力調査を違法であると判断したうえ、被告人らの前記所為につき公務執行妨害罪の成立を否定し、検察官の控訴を棄却した。

原判決の説示するところを要約すると、

1 本件学力調査の実施は、実質的にみて教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして違法と断ぜざるを得ない。

2 地教行法第五四条二項を手続上の根拠として本件学力調査を実施することはできないといわなければならない。

3 公務執行妨害罪の成立するには当該公務の執行が適法であることを要すると解すべきところ、本件において、上級機関である文部省が本件学力調査が適法であるとしてこれを実施しようとしたことが相当であつたと認められないから、直接本件学力調査実施の任に当つた学校長等の立場からすれば、自己の行為を適法と信ずるについて相当な理由があつたと思われることを考慮しても、なお、本件学力調査の実施が適法性の要件を備えていたものと解することはできない。

というにある。

しかしながら、原判決の判断は、以下詳論するとおり、高等裁判所ならびに、大審院の判例と相反するばかりでなく、法令の解釈適用をも誤つたものであつて、右はいずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法第四〇五条、第四一〇条一項、第四一一条により当然破棄せらるべきものと信ずる。

第一点 判例違反

一、原判決が本件学力調査の実施を違法とした判断は、次に掲げる高等裁判所の判例と相反する判断をしたものである。

1 福岡高等裁判所第一刑事部昭和四二年四月二八日判決(下級裁判所刑事裁判例集九巻四号三九八頁以下)(昭和四三年一〇月二八日上告取下により確定)

その要旨

「文部大臣の定めた小学校学習指導要領の実効性はその専門的見地からの権威によつて確保すべきものであるから、右小学校学習指導要領を専門的に権威あらしめるためには、それが学術的に優れていることはもちろん、必要的確な調査に基づいて定められなければならず、地教行法第五四条一項も教育行政機関は的確な調査等に基づいて事務の処理に努めなければならないとしている。そして、右小学校学習指導要領は教育の内容および方法の大綱的基準であるから、教育行政機関が行なう右調査が若干教育の内容および方法にわたることは避けられず、若干教育の内容および方法にわたつているとしても、教育の自由と独立を本質的に侵害するものでない限り、右調査が教育基本法第一〇条に違反して違法であるとはいえない。」

2 仙台高等裁判所秋田支部昭和四一年九月一日判決(労働関係刑事事件判決集第九輯一〇〇頁以下)(昭和四一年九月一七日自然確定)

その要旨

「本件学力調査は、所論のごとくこれを教員の行なうべき教育とみるべきではなく、調査から結果の利用までの過程を有機的全体的に考察して教育行政機関の権限に属する教育調査と認めるのを相当とする。果してしからば、本件のごとき学力調査の学力測定方法としての正確性の批判ないしは現実の教育事情の下における教育政策上の長短得失の論はしばらく措き、大山町教育委員会がその地教行法第二三条第一七号所定の権限により前記のごとく本件学力調査の実施を決定したのは、その実質についてみるも、教員の行なうべき教育を不当に支配し、教育基本法第一〇条第一項に違反する事項を内容とした違法な措置ということはできない。」

以上の判例に徴してみれば、学力調査が教育基本法第一〇条一項に定める教育の不当支配に当らないことは明らかである。そして以上の判例に示された判断はいずれも合理性があり、当然維持せらるべきものであると信ずる。

然るに原判決は、本件学力調査の実施をもつて実質的に適法性を欠くものと断じ「一審判決が本件学力調査実施の実質上の主体を文部省と認定したのは相当である。本件学力調査の実施のためには各学校において授業計画の変更を必要とするが、これは実質上、文部省が各学校の教育内容の一部を強制的に変更させることを意味する。そしてこの調査は全国中学校生徒を対象としてその学習の到達度および学校の教育効果を知るという性質を持ち、かつ正規の授業時間内に教員等の監督の下に行なわれるうえ、その結果は生徒指導要録に記載すべきものとされているので、教員の特定の教科についての学習指導の結果をテストによつて把握するのと何ら異ならず教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有するものといわなければならない。さらに無視できないのは本件学力調査の日常の学校教育活動に及ぼす影響である。すなわち、このような調査が全国中学校の全生徒を対象として実施される結果、教育の場においてその調査の結果が各学校又は各教員の教育効果を測定する指標として受け取られる結果各教員を含む学校関係者も調査の結果に捉われ、これを向上させるため日常の教育活動を調査の実質的主体であり問題作成者である文部省の学習指導要領等に盛られた方針ないし方向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ない。このように本件学力調査の持つ諸特性、すなわち、その対象者、教科の限定、問題の作成方法、調査の実施方法、結果の利用方法等からみて客観的にも―程度の差こそあれ―右のような現象にいたるおそれを内包していると認めざるを得ない。このようにみてくると本件学力調査は生徒に対する教育活動としての性格を帯びるとともに文部省の学校教育に対する介入の面をも有し、ひいては現場の教育内容が文部省の方針ないし意向に沿つて行なわれるおそれをもはらむといわなければならない。この点について、まず問題となるのは、教育基本法第一〇条の規定である。同条は、まずその一項において、教育は不当な支配に属してはならないとするとともに、二項において、教育行政は右の教育の目的達成に必要な諸条件の整備確立を目標としなければならないと定めている。右規定の趣旨は、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは、教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明したものと解すべきである。もとより、教育条件の整備確立か教育施設の設置管理、教育財政および教職員の人事等の教育の外的条件の整備に限られ、教育行政機関の教育内容および教育方法等への関与が一切排せられていると解するのは相当でない。しかし、右の教育内容および教育方法等への関与の程度は、教育機関の種類等に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。もし教育行政機関にして、右の限界を超え教育内容等に介入することがあるならば、それは教育基本法第一〇条一項の不当の支配になるといわざるを得ない。以上述べたところからすれば、前述した性質、内容および影響を有する本件学力調査の実施が許容されないことは多く言わずして明らかなところであろう。すなわち、本件学力調査は実質的にみて教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして違法と断ぜざるを得ない。」と説示し、あたかも本件学力調査の実施が教育基本法第一〇条一項の不当支配に当るものとの見解を示しているのである。

しかしながら、学校教育法は、第三五条において中学校の目的を、第三六条において中学校教育の目標を定め、第三八条、第一〇六条により、中学校の教科に関する事項は、第三五条及び第三六条の規定に従い、監督庁である文部大臣が定めるものとし、この委任に基づき文部大臣は中学校学習指導要領を定めることができ、第四〇条により準用する第二一条により中学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書を使用しなければならないこととしているのである。このことに徴すれば、文部大臣に教育内容に立入る権限を全く与えていないとはいえなく、寧ろこの程度において積極的にこれに関与し得ることも認めているものと解すべきである。従つて、学校現場の教育内容は文部大臣がその権限により定めた方針ないし意向に沿つて行なわれることは同法の趣旨に適合するところであるといわざるを得ない。而して文部大臣は、右のとおり中学校学習指導要領を定め、教科用図書を著作し、又は、これを検定する事務を処理するにあたつては、的確な調査、統計その他の資料に基づいて適切かつ合理的な処理に努めなければならないのであつて(地教行法第五四条一項)、その調査のためには、ことの性質上教育の内容にわたることがあるのは避け難いことに属し、本件学力調査のごとく、調査の企画を文部省が設定して、都道府県教育委員会に対し調査報告を求め、さらにに都道府県教育委員会から調査報告を求められた市町村教育委員会が、これに応じ、その権限に基づき、文部省の定めた調査企画によつて、所管学校の学力調査を実施したからといつて、直ちに教育の自由と独立を侵害したものとみることはできない。これは、法律に根拠を有する正当な権限に基づく法により許された範囲の調査であり、これをもつて教育基本法第一〇条一項の不当な支配に当るとすることは謬論というべきである。

これを要するに、原判決は、本件学力調査の実施が教育基本法第一〇条一項の不当の支配に当るものとして違法であると判断した点において前掲判例に示された判断と相反する判断をしたものといわざるを得ない。

二、原判決の地教行法第五四条二項は本件学力調査の手続上の根拠とはならないとの判断は、次に掲げる高等裁判所の判例の趣旨と相反する判断をしたものである。

仙台高等裁判所秋田支部昭和四一年九月一日判決(労働関係刑事事件判決集第九輯九七頁以下)

その要旨

「都道府県教育委員会が文部大臣より、また市町村教育委員会が都道府県教育委員会よりそれぞれ地教行法第五四条第二項を根拠として、都道府県または市町村の区域内の教育に関する事務に関し、一定の調査その他の資料の提出を求められた際、同条項は調査の実施を請求する権限を直接文部大臣ないし都道府県教育委員会に付与したものではないから、請求を受けた当該教育委員会としては、既存の調査資料中に要求の趣旨に添うものが存しないときは、新たな調査を義務づけられないまでも、教育行政機関として互に協力関係に立ち、ひとしく教育基本法第一〇条第二項所定の教育諸条件の整備確立という共通の目標に奉仕すべき立場から、調査結果の資料が当該教育委員会の行なうべき教育行政の目的にも利用しうるものと認められる限りは、その地教行法第二三条第一七号所定の地方公共団体の処理する教育に係る調査に関する事務の管理執行権の範囲内で、団体事務として新たに調査を実施したうえ、要求に添う調査資料を作成して提出することも、自由裁量行為として当然許されているばかりでなく、具体的にいかなる様式により右調査を行なうかも、かかる調査の様式について特に規定したものがない限りは、教育に対する不当な支配とならない限り、当該教育委員会の自由な裁量により妥当な様式として選択し決定するところに任されているものと解するのを相当とする。」

右判例は、学力調査の実施をもつて文部省の調査権とは別に、教育委員会の独自の調査権に属することを認めたものであつて、まことに条理に合した解釈というべく該判例は正当なものとして維持せらるべきものと信ずる。そして学力調査実施の手続上の根拠が地教行法第五四条二項にあることも右判例の趣旨によつておのずから明らかである。

然るに、原判決は、地教行法第五四条二項は本件学力調査の手続上の根拠規定とはならないと断じ「右規定は教育行政機関の調査(いわゆる行政調査)を予定しているものと解せられるが、その調査の範囲、内容等は現行教育法体系全体との関連において決せられなければならないのであつて、教育基本法において教育と教育行政との分離が基本とされていることからすれば、右規定にいう調査は教育活動としての実質を有しない客観的な資料の把握にとどまるべきものと考える。したがつて本件学力調査が教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有する以上それは右規定の調査のわくを超えるものと言わざるを得ない。のみならず地教行法第五三条二項の規定と対比して考えると、右第五四条二項は、地方教委が自主的に実施した調査等の結果を文部省において必要に応じ有効に利用し得るためその提出要求権(地方教委からみればこれに応ずる義務)につき規定したものと解するのが相当であり、本件学力調査のように文部省の資料提出等の要求に基づき地方教委が新たに、しかも文部省の企画どおりに実施し、その結果の報告を義務づけるようなことは、同条の予想しないところである。かつ地方教委において全く裁量の余地がない調査の実施を右規定によつて地方教委が義務づけられると解することは到底できないというほかない。」と説示し、地教行法第五四条二項を手続上の根拠として本件学力調査を実施することはできないものと判示している。

しかしながら、本件学力調査は生徒の学力の実体を捉え、学習指導、教育課程及び教育条件の整備改善に役立つ基礎資料を得ることを目的とするものであつてその調査結果は、文部大臣の教育行政に関する方針、政策決定の基礎資料となるものである。その目的を達成するためには、同一問題、同一日時において行なわれる必要があり、その問題が学習指導要領に準拠して作成されるのも当然のことである。本件学力調査はそのように国の行政目的のためのものであるとともに、他面、各教育委員会、各学校の教育行政目的、教育目的にも資することとなりこれをも目的としているものである。すなわち各教育委員会においてはその地域の、各学校においてはその学校の生徒の学力について、ぞれそれ全国的水準との比較において実態を捉えることが可能となり、その目的のため各委員会等自体の目的にも適うものといわねばならない。

さればこそ本件学力調査は、文部大臣が地教行法第五四条二項に基づき都道府県教育委員会に対し、調査結果を提出すべき旨を要求し、それを承けて都道府県教育委員会は市町村教育委員会に対し、同様の要求をなし、それを承けた市町村教育委員会は、地教行法第二三条一七号の所掌事務として調査を実施することを決定したものである。原判決は地教行法第五三条二項と対比し同法第五四条二項は新たに調査をしてその結果を提出することまで義務づけたものではないというが原判決の言わんとするところは、文部省が自らの発案と企画に基づき教育に関する新たな調査を行なう場合は、地教行法第五三条により文部省が直接その調査を行なうことができ、また教育委員会に対し、国の機関委託事務として調査を行なわしめることができるのであるから、そのような場合には同法第五三条によらしめるのが同法の趣旨であり、同法第五四条二項は同法第五三条一項、二項によつて調査しうる場合以外の場合を規定したものと解すべきであるとしているもののごとくである。

そもそも同法第五三条の調査なるものは、いわゆる国の助長行政(第四八条、第五一条の場合)または、監督行政(第五二条の場合)上の必要よりする個別的な国自体の調査権を定めたものであり、同条二項により都道府県教育委員会をして調査を行なわしめる場合も国費によつて賄われるべき筋合のものである。これに反し同法第五四条二項の調査は国の一般的教育行政と各委員会のその区域内における固有の教育行政上の施策等の間の調整を図るために必要な一般的資料を国において得さしめるため文部大臣に調査結果の要求権を与え、各委員会等にはこれに協力する義務を規定したものであつて、本件のごとき調査結果の提出要求はまさにこの規定の発動によつて行なわれるべき筋合のものである。前掲判例の趣旨に徴してもこの点は疑いなきところである。

これを要するに、本件学力調査は、地方教育委員会が地教行法第五四条二項に基づいて実施したものであつて、何ら違法な点はなく、これと異なる見解に出でた原判決は、前掲判例の趣旨と相反する判断をしたものというほかはない。

三、原判決は刑法第九五条の解釈を誤り、左に掲げる大審院および高等裁判所の諸判例と相反する判断をしたものである。

1 福岡高等裁判所第一刑事部昭和三九年五月一三日判決(下級裁判所刑事裁判例集六巻五、六号五七四頁以下)

その要旨

「刑法第九五条第一項の保護法益は公務員によつて執行される公務であるから、その公務は同法条により保護されるに値いするものでなければならず、その為には公務員の職務の執行は適法でなければならないことは勿論であるけれども、いやしくも公務員がその与えられた抽象的職務権限に属する事項に関し、法令に準拠してその職務を執行したものである限り、たとえその法令の解釈適用において誤りがあつたとしても、真実その法令に基づく職務の執行と信じてこれをなしたものであり、且つ一般の見解上もこれを公務員の職務の執行行為と見られるものであれば、なお一応適法な職務の執行行為として刑法による保護の対象たり得べきものと解する。」

2 福岡高等裁判所第一刑事部昭和四二年四月二八日判決(下級裁判所刑事裁判例集九巻四号四〇三頁以下)

その要旨

「公務執行妨害罪により保護される公務員の職務の執行は適法なものでなければならないことはもちろんであるが、職務の執行が、その公務員の抽象的権限に属し、法令の形式を具備し、一般社会通念に照しても職務の執行とみられるものであれば、その法令の解釈適用に誤りがあつたとしても、なお適法な職務の執行として、公務執行妨害罪の保護の対象となるものと解するのが相当である。」

3 大審院第一刑事部昭和七年三月二四日判決(大審院刑事判例集一一巻三〇一頁以下)

その要旨

「公務執行妨害罪ノ成立スルニハ其ノ妨害カ公務員ノ適法ナル職務ノ執行ニ当リ為サレタルコトヲ要シ而シテ特定ノ行為カ職務ノ執行タル為ニハ該行為カ其ノ公務員ノ抽象的職務権限ニ属スル事項ニ該ルコトヲ要スルヤ勿論ナリト雖公務員ハ苟モ其ノ抽象的職務権限ニ属スル事項ナル限リ箇々ノ場合ニ於テ其ノ職務執行ニ必要ナル条件タル具体的事実ノ存否並法規ノ解釈適用ヲ決定スル権限ヲ有スルカ故ニ偶々其ノ職務ヲ行フニ当リ職務執行ノ原因タルヘキ具体的事実ヲ誤認シ又ハ当該事実ニ対スル法規ノ解釈ヲ誤リ適用スヘカラサル法規ヲ適用シタリトスルモ該行為カ其ノ公務員ノ抽象的権限ニ属スル事項ニ該リ該公務員トシテ真実其ノ職務ノ執行ト信シテ之ヲ為シタルニ於テハ其ノ行為ハ一応其ノ公務員ノ適法ナル職務執行行為ト認メラルヘキモノニシテ従テ其ノ執行ニ当リ為サレタル妨害行為ハ仍ホ公務執行妨害罪タルコトヲ失ハサルモノトス」

4 福岡高等裁判所第三刑事部昭和二七年一〇月二日判決(最高裁判所刑事判例集九巻二号一五四頁以下)

その要旨

「警察職員が抽象的職務権限に属する事項に関し、法令の方式に遵拠してこれを行なうものである限り、その職務執行の原因たるべき具体的事実を誤認し又は当該事実に対する法規の解釈適用を誤つたものとしても、真実その職務の執行と信じてこれをなしたものであれば、それが著しく常規を逸したものでない限り、一応適法な職務執行行為と解すべきである。」

以上の判例は、いずれもその公務の執行について客観的に違法である場合があつても、いやしくも当該公務員においてその公務の執行につき抽象的職務権限を有し、かつその公務の執行を適法であると信じた場合には、一応適法な職務執行行為として保護に値いするものであつて、これを妨害した場合には公務執行妨害罪が成立するものとしているのであり、とくに右1、2の判例は、本件と同様文部省の企画により、全国的に行なわれた学力調査に関するものであるが、その公務の適法性の判断については、当該公務員の職務権限とその職務執行に際しての認識によつてその公務の適法性の有無を判断しているのである。そしてこれらの判例はまことに正当であつて、なお維持せらるべきものであると思料する。

然るに、原判決は「公務執行妨害罪の成立するためには、当該公務の執行が適法であることを要すると解すべきであり、かつこの適法性が備わつているかどうかの判断はあくまでも客観的になさるべきであり、単に公務員において適法要件が備わつていると信じただけで、それが適法性を備えるものでないことはもちろんであるけれども、事後において純客観的にみるならば公務員がその権限を適法に行使し得るとした判断ないし認定に誤りがある場合でも、その行為当時の具体的な情況に照らし公務員がそのように解したことが相当であつたと認められるときは、当該公務の執行はなお客観的にも適法なものとして公務執行妨害罪の保護の対象となると解すべきである。そして、右の相当であつたかどうかの考察は、公務の執行が特定の公務員の独自の判断によつて行なわれた場合は当該公務員についてのみこれをなせば足りるが、本件学力調査のように、それが上級機関の決定および指示命令に基づき行なわれ、現実に公務を執行した公務員に裁量の余地がないような場合は当該公務員についてのみでなく上級機関をも含めて全体的にこれをなすことを要すると解するのが相当である。しかるところ、本件において、上級機関である文部省が本件学力調査が適法であるとしてこれを実施しようとしたことが相当であつたとは認められないこと原判決の説示するとおりであると認められるから、原判決が認めるように、直接本件学力調査実施の任に当つた学校校長等の立場からすれば、自己の行為を適法と信ずるについて相当な理由があつたと思われることを考慮しても、なお本件学力調査が前述した観点からの適法性の要件を備えていたと解することはできない。」旨判示して、本件公務執行妨害罪の成立を否定しているのである。

しかしながら、公務執行妨害罪の成立するためには、当該公務の執行が適法であることを要することはもちろんであるが、その適法性については、その公務が当該公務員の抽象的権限に属するものである以上、当該公務員は、その職務執行に必要な条件たる具体的事実の存否並びに、法規の解釈適用を決定する権限を有するものであつて、その法規の解釈に若干の誤りがあつたとしても、当該公務員において適法な公務の執行と信じ、かつ、そのように信じたことが著しく不相当なものでない限り、なお、刑法第九五条の保護の対象となる公務の執行であると解すべきことは叙上の判例に照らしても明らかである。而して本件公務執行妨害罪の対象となつた公務は、旭川市教育委員会の命を受けた学校長の学力調査行為であつて、国の機関の作用でないことは明らかである。国の機関の作用とみられるのは文部省が都道府県教育委員会に対し学力調査結果の提出を求める行為であつて、都道府県教育委員会が市町村教育委員会に対し学力の調査結果の提出を求める行為、ないし市町村教育委員会が学力調査をする行為は各地方公共団体の機関の作用であることも明らかである。従つて、本件学校長の学力調査の適法性を判断するに当つて、文部省の学力調査結果の提出を求めることの適法性まで含めて考えるべきではなく、学校長の職務権限とその認識に基づいて、これを決すべきものである。また、原判決は、本件学力調査のように、それが上級機関の決定および指示命令に基づき行なわれ、現実に公務を執行した公務員に裁量の余地がないような場合は、当該公務員についてのみでなく、上級機関をも含めて全体につき適法性が備わつているかどうかの判断をすることを要すると解するのが相当である旨判示しているが、前掲昭和三九年五月一三日ならびに昭和四二年四月二八日の各福岡高等裁判所判決は、いずれも学力調査の任に当つた校長自体の職務権限とその職務執行に際しての認識によつてその公務の適法性を判断しており、これに反するのみならず、学校長は調査が明白に不適法であると思料したときは、上司の職務命令であつても法令の方を重視し、これが実施を拒否することができる(地方公務員法第三二条)のであるから、文部省の調査提出要求と調査の実施とを一体視してその適否を決する理はないといわねばならない。旭川市立永山中学校校長において本件学力調査の実施につきその職務権限を有することは上来説明したところで明らかであるばかりでなく、いやしも学校長においてこれを適法のものとして信じてなした本件学力調査の実施は、保護の対象たる公務の執行と断じて差支えなく、これを妨害した被告人らの所為が公務執行妨害罪に当ることは極めて明白であつて、これと異る見解に出でた原判決の判断は、畢竟叙上の判例に相反する判断をしたものというほかはない。

第二点 法令違反

原判決は、教育基本法第一〇条一項、学校教育法第三八条、地教行法第五四条一項、二項等法令の解釈を誤つたもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと信ずる。すなわち、

一、原判決は、「本件学力調査は形式的には各市町村教委がその主体であるといい得るであろう。しかし、実質的にも市町村教委がその主体であると解することは、実態にそぐわない見方といわざるを得ない。」旨判示して、本件学力調査実施の実質上の主体を文部省であるとする一審判決を支持し、文部省が実質上の主体となつた本件学力調査の実施は、教育基本法第一〇条一項の不当な支配に当るものであるから本件学校長の実施した学力調査を適法な公務の執行とは認められないとしている。

なるほど、原判決認定のとおり、本件学力調査の対象者、調査教科、実施期日および時間割、問題作成の手続、調査実施機関の系統および各機関の役割、調査結果の整理集計および利用等について文部省が定めて指示していることは認められるけれども、右は教育行政上の正確な資料をうるため、調査事項の性質上画一的な調査方法を定めてその調査結果の提出方を求めたものであつて(地方教委の結果利用については指導的意味をもつにとどまる)、調査の対象者たる生徒に対する調査行為まで文部省がその主体であるとは到底解されない。すなわち、文部省は都道府県教委に対し調査結果の提出を求め、都道府県教委はその権限に基づき市町村教委に対し調査結果の提出を求め、市町村教委はその権限に基づき調査すべき旨決定し、所管中学校の該当生徒につき調査を実施したのであるから、中学校生徒に対する調査行為の主体は法律的にみて市町村教委であるといわざるを得ない。しかして、本件公務執行妨害の対象となつた公務は旭川市教委の命を受けた学校長の調査行為であるから、その公務の適否は、旭川市教委にその権限があるか否か、その命を受けた校長にその権限があるか否か、執行方法に適法性があるか否かによって決すべきであることは当然である。旭川市教委が同市設置にかかる永山中学校について、管理運営権を有し、かつ、教育に関する調査をする権限を有することは地教行法第二三条一号、一七号に明定されたところである。而して、同中学校長は同校の校務を掌る職務権限を有するものであることは学校教育法第四〇条、第二八条によつて明らかである。従つて同校長が、同教委の命により同校の校務に属する生徒の学力調査を実施するについて、何ら違法とすべき理由はない。

原判決は「このような調査が全国中学校の全生徒を対象として実施される結果、教育の現場において、その調査の結果が各学校又は各教員の教育効果を測定する指標として受け取られ、したがつて各教員を含む学校関係者としても右の調査の結果に関心を持たざるを得ず、これを向上させるため、日常の教育活動を調査の実質的な主体であり問題作成者である文部省の学習指導要領等に盛られた方針ないし意向あるいは従前の調査問題の傾向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ない。教育基本法一〇条は、教育と教育行政とを分離し、教育そのものは、教育の場にあつて被教育者に接する教員の自由な創意と工夫とに委ねて教育行政機関の支配介入を排し、教育行政機関としては、右の教育の目的達成に必要な教育条件の整備確立を目標とするところにその任務と任務の限界があることを宣明したものと解すべきである。もとより教育行政機関の教育内容および教育方法等への関与が一切排せられていると解するのは相当でない。しかし、教育内容および教育方法等への関与の程度は、教育機関の種類に応じた大綱的基準の定立のほかは、法的拘束力を伴わない指導、助言、援助を与えることにとどまると解すべきである。学校教育法第三八条が文部大臣に、学習指導要領にみられるような教育内容や教育方法についての詳細な定めをなす権限を与えたものとは到底解されず、むしろ、同条は中等教育が義務教育であることを考慮し、その教育課程の編成について、文部大臣が義務教育であることから最少限度要請される全国的画一性を維持するに足る大綱的な基準を設定すべきものとした趣旨に解するのが相当である。したがつて、学習指導要領のうち、右のような大綱的な基準の限度を超える事項については、法的拘束力がなく単に指導的な意味を有するとしなければならない。そうすると文部省が本件学力調査における具体的な問題を作成し、これを実施したうえその結果の報告を求めるというようなことは、明らかに文部省の権限を踰越するものというほかはない。したがつて本件学力調査の問題が学習指導要領に準拠して作成されたということは、本件学力調査が実質的に違法であることの評価に影響を及ぼすものではない」旨判示して、本件学力調査を教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反する違法なものであると断定している。

しかし原判決の右のごとき判断は教育基本法第一〇条一項、学校教育法第三八条の解釈を誤つた結果であつて決して正しい見解ではない。すなわち、教育基本法第一〇条にいう不当な支配は、国ならびに地方公共団体の教育行政機関もこれを行なうことが許されないことは勿論である。しかし他方教育は、国家社会の最も重大な関心事であり、その誤りは将来の国家社会の運命をも危くするものであるから、正しい教育の振興は、国や地方公共団体の果さなければならない重大な使命の一つである。ことに義務教育である初等中学の普通教育は基礎的な教育である関係上重要であるとともに、全国的に差異のない水準において行なわれる必要がある。その故に、文部大臣は文部省設置法第四条、第五条、地教行法第四八条、第五二条等により、一般的な権限を与えられ助長行政ならびに監督行政を全国的に行なうことができ、さらに個々の具体的権限として以下述べる諸規定が存在するのである。すなわち、学校教育法は、第三五条において中学校の目的を、第三六条において中学校教育の目標を規定し、第三八条、第一〇六条において中学校の教科に関する事項は、第三五条、第三六条の規定に従い監督庁である文部大臣がこれを定める旨規定している。而して学校教育法施行規則第五四条の二において中学校の教育課程については、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する中学校学習指導要領によるものとすると規定し、別に、文部大臣が中学校学習指導要領を制定告示しているのである。かくの如く、中学校学習指導要領は学校教育法第三八条の委任による立法であつて、法規たるの性格を有し、法的拘束力があり、中学校の教育課程を編成するにあたつては、中学校学習指導要領の定める基準に従わなければならないものであることは明らかである。文部大臣の教科基準の設定権は大綱的なものに限られ、現行の中学校学習指導要領の程度に詳細にわたることができるか否かについて勘案するに、文部省が教育過程の基準として中学校学習指導要領を策定した理由は(一)教育の全国的共通の水準確保(二)社会の発展に伴う教育水準の向上(三)国際的教育水準の維持を計るにあつて、その必要性は何人も否定することができないところのものであり、現に作成された中学校学習指導要領も専らこの目的に添うものである。その量は全部で二八二頁(総則七頁、国語一四頁、社会二八頁、数学一五頁、理科三八頁、音楽二二頁、美術一九頁、保健体育三九頁、技術家庭二五頁、外国語三〇頁、農業・水産・家庭各五頁、工業・商業各四頁、道徳八頁、特別教育活動三頁、学校行事等二頁)でその実物を一見すれば明らかなごとく、その質はいわば教育活動の骨組みとなるものや教師に対する技術的な援助と考えられるものだけであつて、何等教育活動を統制し、教育内容に不当な干渉をなすものでない。この内容は質量とも正に学校教育法第三五条、第三六条の趣旨に合致するもので、わが国の教育水準の確保と向上を目指す必要にして妥当なものであり、同法第三八条の委任の限界を越えたものとは到底考えられないところである。したがつて、本件の中学校学習指導要領の設定については、何ら違法不当の点はないものといわねばならない。しかるに原判決は、地教行法第三三条等を根拠として、地教委が具体的な教育過程を定める権限を有するから、教育の地方自治の立前から、文部大臣の学習指導要領設定権限も制約を受け、文部大臣は、全国的視野における大綱的基準の定立ができるのみであるとしているが、右地教行法第三三条の規定は「教育委員会は、法令又は条例に違反しない限度において、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編成、教育過程、教材その他の教育機関の管理運営の基本的事項について必要な教育委員会規則を定めるものとする」とあつて、原判決のいうところとは、逆に、法令が優先し、地教委の具体的教育過程はそれに違反しない範囲内で認められているに過ぎない。すなわち、文部大臣が法律の委任に基づいて発した命令である中学校学習指導要領こそ、地教委の教育過程設定権を制約するものであつて、地教委の権限が、文部大臣の権限を制約する根拠とはなり得ないところである。また、学校教育法第四〇条により中学校に準用される同法第二一条によれば、中学校においては文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書を使用しなければならないとして、文部大臣に教科の具体的内容となる教科用図書の検定又は著作にまで関与する権限を与えていることに対比すれば、原判決のいうが如き大綱に止まることを要する必要は全くないのである。したがつて、教育課程の全国的基準として公示した中学校学習指導要領の程度の内容は、同法第三八条の定める教科基準設定権の限界を超えるものとは到底考えられない。

而して、本件学力調査は原判決も認定するとおり、文部省が教育課程に関する諸施策の樹立および学習指導の改善に役立たせる資料とすること、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行なうための資料とすること等を目的としてその結果の提出要求をしたのに応じ、地教委がその地方の教育行政にも役立つものとして実施したものであつて、その目的において何ら不当と認むべき理由はない。

また、原判決は、各教員を含む学校関係者が文部省の学習指導要領に盛られた方針ないし意向に沿つて行なうという空気を生じ、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が妨げられる危険があるといわざるを得ないとして、学力調査の違法性を判断する重要な理由としているが、日常の教育活動が文部省の学習指導要領に盛られた方針ないし意向に沿つて行なわれることは、学校教育法の趣旨に沿うものであり、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動も学習指導要領に盛られた内容に沿つて行なわれるべきものであるから、これを妨げられるべき理由はなく、若し、教員の自由な創意と工夫とによる教育活動が学習指導要領の内容に反するものであるとするならば、その教育活動こそ学校教育法の趣旨に反するものといわなければならない。

また本件学力調査において、文部省の求めているのは中学校生徒の学力調査の結果の提出を求めたのみであつて、教育内容の変更を求めたものではなく、本件調査のため通常の授業の変更をしなければならないというけれども、それは単に一日の授業日程の変更だけであつて、授業内容の変更を要するものではなく、これを以て教育行政機関の不当な支配介入ということはできない。

しかるに、原判決が本件学力調査は教育基本法をはじめとする現行教育法秩序に反するものとして、違法であると判断したのは、教育基本法第一〇条一項、学校教育法第三八条等の解釈を誤つた結果であつて、明らかに誤りというべきである。

二、次に原判決は「地教行法第五四条二項にいう調査は教育活動としての実質を有しない客観的な資料の把握にとどまるべきものである。したがつて、本件学力調査が、すでにみたように教育的な価値判断にかかり教育活動としての実質を有する以上、それは右規定にいう調査のわくを超えるものと言わざるを得ない。本件学力調査のように、文部省の資料提出等の要求に基づき地方教委が新たな調査を、しかも文部省の企画どおりに実施し、その結果の報告を義務づけられるというようなことは同条の本来予想しないところといわなければならない。また、右第五四条二項の規定が地方教委に対し既存資料の提出義務を負わせたにとどまらず、文部省の提出要求に見合う資料がない場合は新たな調査を実施しその結果を報告する義務を負わせたものと理解できるとしても、調査の主体が地方教委とされる以上、右義務には自ら調査の規模、内容それに要する予算等の面で限界が存するというべきであり、本件学力調査のように対象が広範囲にわたるとともに大規模な予算を伴ない、かつ地方教委において全く裁量の余地がない調査の実施を右規定によつて地方教委が義務づけられると解することは到底できないというほかはない。」旨説示して、地教行法第五四条二項を手続上の根拠として本件学力調査を実施することはできないものと判断している。

しかし、原判決の右判断は地教行法第五四条二項の解釈を誤つたものである。すなわち、文部大臣が教育課程の基準として学習指導要領を定める権限等を有することは既述のとおりであつて、その所掌事務を適切かつ合理的に処理するためには的確な調査、統計その他の資料に基づいて行なう必要があり(地教行法第五四条一項)、そのため、地教行法第五四二条二項において、文部大臣は地方公共団体の長又は教育委員会に対し、それぞれの区域内の教育に関する事務に関し、必要な調査、統計その他の資料又は報告の提出を求めることができる旨定めているのであつて、原判決のいうような教育活動としての実質を有しない客観的な資料の把握にとどまるものと解するのは、文部大臣の教科に関する事項の制定権および調査、統計その他の資料または報告の提出要求権を不当に狭く解した結果であるというほかはない。すなわち文部大臣が行なつた学力調査結果の提出要求は、すでに論じたとおり、その正当な権限に属する教科に関する事務を適切かつ合理的に処理するための資料を得るためのものである。また地教行法第五四条二項が、文部大臣に右提出要求権を与えているのは、これに対応し、地教委等が、調査結果を提出する義務を負うことを意味する。したがつて、本件において旭川市教委が、文部大臣の正当な要求に応えるため、学力調査を実施したことは義務の履行として当然というべきである。原判決は、右第五四条二項は、教育委員会が新たな調査をし、その結果を報告する義務を課したものとはいえないと判示し、その根拠として、同法第五三条二項の規定との差をあげている。しかし、第五三条二項が「調査を行なわせることができる」と明記しているのは、同条が文部大臣自体の国の調査権を教育委員会に機関委任して、これを実施せしめるための規定であるからであつて、第五四条二項に右の「調査を行なわせることができる」という文言がないのは、同条のように調査結果の提出要求権のみを有し、調査の実施そのものは、教育委員会等がその固有事務として行なう場合には、右のような文言は不必要かつ不適切であるからである。右文言がないからといつて、何も、同条が教育委員会に固有事務としての新たな調査を禁止したり、不必要として認めなかつたりしているのではない。教育委員会等が、文部大臣から調査結果の提出要求を受け、その提出義務を果すため、新たな調査を実施する必要が生ずるのは、一般に報告の提出義務を規定した多数の行政法規において、報告義務者が報告するための調査作業を行なう必要がありその権限があるのと異ならない。第五四条二項において報告の提出とならんで、特に調査結果の提出を規定しているのは教育に関しては他の行政事務に比し特に調査の必要性が高いからにほかならない。

また、原判決は、本件学力調査のように対象が広範囲にわたるとともに大規模な予算を伴い、かつ、地方教委において全く裁量の余地がない調査の実施を右規定によつて地方教委が義務づけられると解することはできないという。

しかし、これを全国的にみれば広範囲であり大規模な予算を伴うように考えられないでもないが、実際これを実施する市町村教委についてみれば、当該公共団体の地域内の中学校について調査を実施すればよいのであり、また、市町村もその地域内の中学校について調査をするために要する費用を支弁すれば足るのであつて、大規模な予算を要するものと解するのは誤りである。のみならず予算措置が伴わないため実施の困難の場合があるとしても、それは、その調査を強制することができないというにとどまり、そのことによつて市町村教委に調査結果を提出する義務までも生じないと解するのは誤りである。また、地方教委において全く裁量の余地がない調査というけれども、それは調査事項の性質上全国同一の調査方法により調査し、これを統計的に集計しようというにあるのであつて、事柄の性質上裁量の余地がないことは寧ろ当然である。

してみれば原判決が地教行法第五四条二項は教育委員会に対し新たな調査をすることまでも義務づけたものでないとして、これを根拠として本件学力調査を実施することはできないものと判断し、本件学力調査の適法性を否定したことは明らかに同法第五四条一項、二項の解釈を誤つたものというべきである。

結論

以上のごとく、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例違反と法令違反があるから、原判決は破棄を免れないものと思料する。

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